新しい一年を生きていくにおいて。
タイトルがかたくるしい。
昨年の年始の思いは、
しごとでは自分の能力を過信せず、忙しそうにふるまいながら、プライベートの用事を優先できるような状況を作ることを考えていた。
ちょうど2年前に前の職場に転勤になり、向こう10年は歯車的な仕事を淡々とやっていくような状況になると想定していたし、昨年前半まではそういう状況だった。
自分の能力を存分に発揮し、成果をあげて、自分の生活を中心に考えられるような状態を確立していたと思っていた。
昨年の転勤の話が出てきて、実際転勤するまでは。
いままでの人生を振り返ると、想定通りだったことは、あんまりなかったなぁと思う。
中学生の時に、母親が他界し微妙な思春期を過ごす。
高校受験はうまくいかずにスベリ止めの学校に入学。
付属高校だったので推薦で大学に行けたかもしれないが、他大学受験することになり、
絶対合格しないといわれた大学を記念受験したら合格し、進学。
大学では成績が悪くて、留年の危機を何度も繰り返したものの、大学院修士課程に進学。
官僚を目指し、公務員試験を受けたが、結果、民間企業のほうが早くきまり、大きな会社に就職できた。
会社では、早く出世したいなとおもい、体を壊すほど仕事に打ち込んだが、うつ病だったり、体を壊したりして結局は、万年平社員というような状態に最近までおかれていた。
50歳が現実に近づいてきて、体が動くうちに好きなことをしようと思い、サイクリング中心の生活を始めたところ、転勤になり、栄転なので、プライベートをそれなりにしてまた仕事が柱の生き方になった。
なるようになると、思って生きてきたし、それでいいと考えている。
でもしかし、もっと思い通りの人生を歩めたのではないかと、少し思う。
なるようになると、柔軟さはなくさないように生きてきたが、絶対こうしたいというような、確証のある考えのもとのスジの通った強い意志が、とても足りなかったのだろうと今思う。
俺ならこうする とか
俺はこうだ のような
強い意志がない。
去年の正月に、変化のない1年を想定していたが、そんな何も起きないことがあるはずがないのである。
世界情勢に影響を受ける経済とか、元首相暗殺とか、コロナがまだ長引いているとか、考えればそうだったかもしれないことが、自分の中では全く想定できない。
なるようになる のだけれど、
なるようにしたい のだとおもう。
今年はどれだけ想定できないことが起こるのだろうか。
想定しすぎるのも問題あるが、なり行きすぎるのも問題ある。
とにかく、思い通りにはならない。
思い通りになる人生は面白いのだろうか。