自転車と関係なさそうなこと

サイクリング以外の日記はこっちで

バベルの塔。

バベルの塔ということばは、ファミコン世代の自分はゲームソフトの名前としてなんとなく知っていた。

グローバル、グローバルとあっちも、こっちもグローバルを叫ぶ昨今。
さまざまな言語を話す世界の人たちが、コンピューターを通じて誰でも結構簡単にコミュニケーションを取る状況になっている。

自分は強がってばかりいたとっても弱い人間だ。
ココロを壊して、自分が弱くてしょうがないということを自覚した。
それからは、まさにわらにもすがる気持ちである。とにかく何かにすがりたい。
宗教、思想、カウンセリング。
般若心経、聖書、色々読んだ。読んでるだけじゃ物語を理解できない。

聖書をてにとり、適当に開く。(最初から順々に読んでいくと挫折するから。)
こういうたぐいといの書物といってはなんだが、書いてあることはとっても当たり前なのである。
あたりまえ。
大昔にかかれたことを読んで、まったくそうだなと思ってしまう。
普遍的なことが、さらっと書いてある。
だからどこを開いても、当たり前のことが書いてある。

書いてあることに素直になってみる。
とっても気が楽だったりする。


旧約聖書バベルの塔の話がある。(お約束的には、出展箇所を明示するのだが、よくわからんのでしない)
世界中の人が、同じ言葉を話さなくなった起源とされているお話。

コンピュータとかITとか、まさにバベルの塔的なものなんじゃないかと、思う。

ITとかコンピュータを、バベルの塔とたとえると、唯一のシステムが世界にできるのかもしれない。
そういう世界を今の人々の多くは望んでいるのかもしれない。

世界共通とか、統一言語とか、きっとうまくいかないということなんだろうな。
ユーロもうまくいってないし。日本もうまくいってない。
こんな狭い日本でも、地域地域で特色が絶対ある。
政治的には地方分権みたいなことがきっといいことなんだろうなと思う。
標準語という言い方をやめて、関東弁とか関西弁とかそういうこと。

ばらばらだから、判りあおうとする。
それが純粋なコミュニケーションなのかもしれない。

 

 

みんなココロの赤信号を消そうではありませんか。
谷川俊太郎さんありがとう。